一年ちょい経って読むアルストロメリアのお話
Q.なんで今更なの?
A.納得いく解釈が全然できんかった
と言いつつも、書く良い機会がなかったから。せっかく今日は12月25日ということで。
先に注意しておくと、これから書かれるオタクの戯言は個人の解釈ゴリゴリの自己満足なので、質の考察をご要望の方は先駆者様達がいっぱい書いてるはずだからそっちを検索してください。
はじめに(隙あらば自分語り)
かれこれ1年ほど前、アルストロメリアのアルストロメリアに出会って、ありえん深みのある歌詞に即堕ちしてしまったワイ将。
界隈にアルストロメリアの歌詞がやばいと1stで歌詞考察名刺を配るも、ことごとく各方面からバカアホガ〇ジ認定(おそらく日常行動にも問題有り)マジで知らんPに名刺求められて、人の名刺を怪文書呼ばわりした奴ら許さんからな。
そもそもな話、歌詞考察するような人間はそうそういないらしいと知りました。たしかにアイマスベイビーだったころは気にも掛けていなかったです。
と思いつつも諦めの悪いバカは、デレだろうがミリの界隈だろうが問答無用でアルストロメリアの話をし続けてたら、「いいからブログでまとめてくれ」「論文提出しろ」と界隈オタクに最近言われてたのが真の経緯。エモいとかしょーもない言葉だけじゃなくて、何が伝えたいのかお前ら知ってくれ。
まず、この曲の特徴として、ユニットで1番最初の曲であり、セルフタイトルであることです。
1曲目ってユニットの自己紹介になる曲ですよね。なおかつセルフタイトルというユニットで1度しか切ることのできない最強の宝具を初手から放ってきてます。
そんな限凸カレスコみたいなこの曲は、アルストロメリアとして花咲いていく、これ以上のない自己紹介が描かれているはずだと推測(メタ読み)できます。
アルストロメリアに描かれる少女の恋のストーリー
ユニットの自己紹介文なんだと理解しながらも、歌詞の意味を理解しないと先に進まないので、日常的に耳にしないような哲学チックな歌詞を読み進めていきます。
詳しくは後述するとして、この曲では、「一人の少女が自身の恋に気づき、悩んだ上で少女の恋の答えを見つけ出す」というストーリーが描かれていることが読み取れます。
あれ?アルストロメリアの自己紹介じゃなかったの?
って思うかもしれないですけど、この少女の恋の中で成長していく心情は、アルストロメリアの3人の心情と非常によくリンクしています。
ここでの「少女の恋」は「アルストロメリアの3人にとってのアイドル」と捉えるとわかりやすく、コミュ数が増えた今では、より分かりやすくなっているんじゃないかなって思います。
このように、キャラクターの想いを比喩するように描いている様は、ミリオンの「瑠璃色金魚と花菖蒲」に似ているといえば伝わる人には伝わるんじゃないでしょうか。
※ガチじゃない人に解説すると、「瑠璃色金魚と花菖蒲」という曲は、自分の理想とするアイドルへ憧れる姿と、周りからの期待どおりになれない本当の自分とのギャップを、金魚視点での花菖蒲への憧れと、花菖蒲視点での凛と咲く姿の裏に隠された苦悩に例えて描かれています。シンプルに強い和風ロック曲なので知らない人はとりあえず買いましょう。
前置きが長くなってしまいましたが、歌詞考察に入っていきます。
サビ以外は歌詞色でソロ分けしているので、それぞれの描写と合わせて確認して貰えればと思います。
甘奈 甜花 千雪
それと†オサレサブタイトル†をつけています。少女の恋のストーリーがどのような話で進んでいくのかの要約だと思ってもらえれば伝わりやすいと信じてます。
1.幸福論誕生。少女の恋心。
まず1番では少女が恋に気付くところからスタートです。まぁよくあるラブコメ導入だと思えばいいでしょう。
そんな序章のなかで、アルストロメリアの心情としては、「恋に気付く=アイドルになりたて」の心情がリンクして描かれているように見えます。
気絶しそう しどろもどろ
花ざかりタレイア
まともな神経(あたま)が繋がらない アダージョみたい
恋の感情に揺れ動かされ、「気絶しそう」、「しどろもどろ」な私はまるで花盛りな女神タレイアのようだと喩えています。
また、揺れ動く感情に思考回路が交錯し、思考処理がアダージョのように遅くなっているというあたりから、恋に花盛りな少女の頭の中は、交錯する感情でいっぱいいっぱいになってしまっているとう状況が読み取れます。
パート担当の甘奈としてみても、アイドルとしてやりたいことが膨らむばかりの様子とリンクしているように見えます。
凛々しくいよう 強くなろう
天と地がディストーション
夢をみることも忘れてしまうのかな
- ディストーション:音像の歪み、またその歪んだ音色そのもの。
「凛々しくいよう」、「強くなろう」とありますが、天と地がディストーション(歪んで)しまっているとあるため、「凛々しくいよう」、「強くなろう」という少女の在りたい姿と実情は異なっているのだとわかります。
自身の在りたい姿になれない(なる勇気が出せない)状況を、「夢をみることも忘れてしまう」=このままでは夢をあきらめてしまうことになると皮肉りながらも理解している背景が伺えます。
ここでの背景は、甜花にとっても同様で、だらだらモード全開の状態で甘奈にアイドルへ引き連れられた甜花でしたが、心の中では変わりたいという意識が潜んでいたことが歌詞の中に隠されています。
特にアイドルになる前の描写としては、【I♡DOLL】大崎甜花の第2コミュ「I am・・・」内にある、甘奈への憧れの描写あたりからよく読み取れます。
※天と地がディストーションの別解釈について
「天(テン、アマ)」を大崎姉妹、「地(チ)」を千雪として読むと、ユニット結成時の感情のすれ違いを示唆しているようにも読み取れます。その様子はイベント「満開、アルストロメリア流幸福論ーつなぐ・まごころ・みっつー」第2話「天と地、屈折」で描かれています。
積極的ではありませんが、甜花は甜花らしく、物事を考え捉えているという要素が歌詞にも表れているんじゃないかなと思います。
ゲーム内ではありませんが、公式漫画3話でも似たような描写が表れています。
ふくらむ蕾が傷だらけでも
優しくそっと手をとってくれますか
ふくらむ蕾というのは、これまでの1番の歌詞に出てきた少女の恋の感情のことでしょう。
蕾はやがて花へと成長しますが、その蕾が傷だらけということは、蕾の行き先が決まっていない状況のことであり、そんな私の蕾(感情)でも「手を取ってくれますか」という少女の願いが描かれています。
蕾の行き先が決まっていないという状況というと、先ほど挙げたイベント「満開、アルストロメリア流幸福論ーつなぐ・まごころ・みっつー」での千雪と大崎姉妹との感情のすれ違いや、アイドルと雑貨屋のどちらを取るかに揺れ惑うWing編コミュ「これからのこと」が挙げられます。そんな私でも支えてくれますかという千雪と大崎姉妹、千雪とプロデューサーとの関係性が許褚に表れています。
「チュ チュ チュ」は、甘いキスのようにこれまでの恋の感情をイメージさせる擬音で、「幸福論誕生」「アイデンティティ見つけた」という恋の芽生えをプラスに修飾しているように見えます。「アルストロメリアの花」「Silent Love」も恋の感情が芽生えたことを「咲いた」と表現しており、「Silent Love」と「アルストロメリアの花」は同義であることを意味しています。
その密かな恋(Silent Love)の花アルストロメリアの花」が「咲いた」ことが、「幸福論誕生」「アイデンティティみつけた」に繋がってきています。
アルストロメリアの3人としてみても、アイドルになったことへの希望を膨らませた「幸福論誕生」でありながら、これからユニットとして活動してく「アルストロメリアの花」が開花していく様子を「アイデンティティみつけた」と期待を寄せている感情が描かれているようにも取れます。
過去も未来も諸事情も
キミ色にぜんぶ染まりたい
一途なわたし フィロソフィ
咲いた 咲いた Silent Love
- フィロソフィ:哲学
「過去・未来・諸事情」も全て「キミ色に染まりたい」ほどの一途な恋が芽生えた「わたし」は、自分なりの答えを見つけるために哲学し始めます。
ここでの哲学は、誕生したばかりのわたし流幸福論(アルストロメリア流幸福論)を真なる幸福論にするために考えていこうという決意であり、1番の総括と2番への繋がりを意味というべきでしょう。
2.悲劇的最高。進展できない恋の悩み。
恋の感情が咲いた少女でしたが、2番ではなかなか想いを伝えることのできない葛藤が描かれています。
そんな「恋の葛藤=アイドルになってからの葛藤」とリンクするように、アルストロメリアの3人それぞれの悩みが描かれています。
ニヒリズムも ペシミズムも
退屈がテンプレ
まっ赤なりんごは落ちてこない 木の上のまま
ニヒリズムとペシミズムのどちらも否定的な主義を意味していて、そのような否定的な主義がテンプレート化し、退屈であると嘆いています。
「まっ赤なりんご」というのは、意中の先であるキミのことを指しており、「木の上のまま」であるということから意中の相手に手が届かない様子を描いています。
全てが否定的なワードでまとめられてパートになっていますが、このままでは前に進むことができないと理解するパートだと思います。
甜花として見ても、ニヒリズム・ペシミズムといった自分から動き出すことのできない状況では、テンプレ化した退屈なままであると皮肉ることで、なにか変わらなければいけないとぐっと歌いあげているパートです。
もしも いつか やがて きっと
初めからエンドロール
照れかくしなんてあまのじゃくすぎるかな
「もしも・いつか・やがて・きっと」といった言葉はすべてifの考えで、頭の中にどれだけifの想いを貯めていっても、初めから終わっている(エンドロール)。
照れ隠しで相手に想いを伝えないままでは、素直になれない「あまのじゃく」であり、相手に気持ちは伝わらないと理解しています。
【サマーハニー・シーズン】桑山千雪、第3コミュ「もしも夕日が綺麗だったら」にて、素直に言葉にできないあまのじゃくな自分との葛藤が描かれているように、ここのでの歌詞も千雪の人生観とリンクして描かれています。
ねじれた茎(バルブ)が不完全でも
かまわずずっとそばにいてくれますか
これまでの2番の歌詞で語られるように、少女の心の中にある、ニヒリズムやペシミズムのような否定的な主義や、あまのじゃくのように素直になれない気持ちのことを「ねじれた茎のように不完全」であると比喩しています。
そんなわたしでも、「そばにいてくれますか」といった不安が歌詞に表れて来ています。
甘奈としては、Wing編コミュ「不安な時期」にあるように、アイドルとして輝いていく甜花の姿を見て、自分から離れていった遠い存在になってしまうのではないかと悩む姿にリンクしています。
甜花が最も近い存在であると思っていた甘奈は、皮肉にも甘奈にように明るくなりたいという甜花が努力するにつれて遠い存在へと感じてしまっていくのです。
- Cipher:0(ゼロ)、暗号
「ギュ ギュ ギュ」 は、心臓が強く締め付けられるような負のイメージの擬音語で、「悲劇的最高」は前にも後ろにも進まない、「ジャッジメントがくだらない(判決が下されない)」恋の状況を皮肉するような表現をしています。
そんな進展せずに、私の頭の中で堂々巡りしている感情はまわって(180°)、まわって(180°)、Cipher(0°)のままであるとという状況を表しています。
3.少女の恋の答え。キミに向けたわたしのSilent Love。
1番2番で描かれた恋の物語に答えが生まれてくるパートです。
恋をして、恋に悩んだ少女でしたが、 最後には少女の恋の決意が描かれると共に、アルストロメリアの心情としても同様に悩みを乗り越えての決意が描かれています。
サチュレーションあげてよ
バイオリズム 果てまで
もっとドキドキしよう
- サチュレーション:飽和、最大まで満たされた状態
- バイオリズム:心身の状態を表す「身体」「感情」「知性」の3種類の波。
まるで心身の状態が果ててしまうかのように、君への恋の感情で満たされている。
それでもなおもドキドキしていたいと描かれています。
つまりここでは、少女のこれまでの悩んだ恋の感情は、それでもなおもキミのことを想い続けようという意思表示がされています。
少女の恋の感情は、想いを伝えることはできないかもしれないけど、わたしはキミのことが大好きである。
それが少女が哲学した最高の幸福論(アイデンティティ)であると答えが出されます。
2番ではマイナスなイメージを感じさせられた「ギュ ギュ ギュ」という擬音語も、ここでは想いを抱き寄せるようなプラスなイメージへと変わってきます。
結局、キミへ想いを伝えることができないCipher(0°)のままではあっても、キミからの「ジャッジメントがくだらない(判決なんてどうでもいい)」この悲劇的な状況が最高である。
Yes No 好きでも嫌いでも
キミにならぜんぶ捧げたい
重なるしぐさ シンパシー
咲いた 咲いた Silent Love
愛が 咲いた Silent Love
「YesNo 好きでも嫌いでも キミにならぜんぶ捧げたい」という少女の幸福論は、アルストロメリアの花言葉もある「devotion(献身的な愛)」であると再び導き出されます。
献身的とは、「自分のことを顧みず、心身ともに捧げるほど他人のために尽くすさま」意味しており、ニヒリズムやペシミズムのような否定的な自身の考えすらも否定し、バイオリズム果てるまでキミのことを想い続けようとう決意が少女の出した自身の恋のへの答えです。
アルストロメリアの3人として見ても、悩んだままでは前には進めない、今の最高の大好きな気持ちをアイドルとしてキミ(1人から2人/プロデューサー/ファン)に伝えたいという決意が少女の心情がリンクするように伝ってくる歌詞をしているように感じます。
決意の先がハッピーエンドとは限りません。どのような結果を迎えるかは未来のお話です。
まだまだアルストロメリアは始まったばかりであり、どんな未来へ花咲いていくかの過程は本編であるアイドルマスターシャイニーカラーズの世界へと繋がっていきます。
最後に、アルストロメリアという曲名について
最後にアルストロメリアという曲名について触れていくと、アルストロメリアの花言葉がキーになってくるんじゃないかなと考えてます。
アルストロメリアの恋する少女の物語としては、アルストロメリアの花言葉である「devotion(献身的な愛)」へと辿り着きますが、初期のユニット紹介にあるように、アルストロメリアの花言葉は「未来への憧れ」です。
この曲では「(少女の恋/アルストロメリア)としての決意」が描かれていましたが、どちらも「未来の憧れへの決意」としても解釈できると思います。
アルストロメリアというユニットとしての物語としては、「未来への憧れ」という花言葉を持つ"アルストロメリア"という曲名になっているんじゃないかなと考察してます。
以上、長文にお付き合い頂きありがとうございます。
急ピッチに書き留めてしまったのでたぶん追記すると思います。
それでは。